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2006年12月

もうすぐ新年2007

Cimg39480022 今年の学校休暇は、23日金曜・・・”の授業後”から始まりました。おおよそ日本と同じです。おそらく、それにあわせて、子供連れの家族などは、バカンスに出かけるのでしょう。家族と食事に、という人もいます。仕事人は、一度はこちらの家族、2度目は違う家族、友人とパーティーと、ノエルと新年を上手に使い分けているようです。

ところで、古臭い感じがしていた「電飾」も、去年あたりから小さい電線が入り、すっかりアメリカ風になってきました。私は好きです。2000年にアメリカに行ったときに目を見張りましたが、その頃には、まだ、あの小さい電線、パリで売っていなかったように記憶しています。アメリカの田舎の大きな家での電飾は似合います。しかし。フランスの素朴なの田舎の古い家での装飾は・・・いまいちわびしいという気も。ほどほどの住宅街で派手にやってくれている家庭をみると、なかなか見ごたえがあります。(写真はパリ18区役所。)

さあ、いよいよ年の瀬・・・とはいっても、パリはなんとのんびりしたことか。ノエルことクリスマスで、一騒ぎ済んだような気分なのです。

フランスのテレビでおかしいのは、レギュラー番組も学校休暇とともにお休みになってしまうということ。それはもう、きっぱりあっさり・・・そして、子供の向けの番組(ひたすらアニメ)やら、なんというこもない特集などを流しています。なぜか、タケシさんの番組も放送されました。一応、一年を振り返る番組もありますが、なんとなく今年はあまりおもしろくないことが多かったような気がします。(いつものように!?)

今までの、私の不思議な新年の迎え方。

たしか1992年から93年へのかけての新年は、友人とシャンゼリゼへ乗り込みました。もう、ひたすら寒かったこと、にぎやかだったことだけ覚えています。カウントダウンをして、そのときは誰とでもキスをしていい、という風によく聞きますが、そのときは、お誘いはなかったなあ。でも、このとき以来、外へは行きません。まだ、パリ生活に慣れておらず、緊張した年明け・帰宅でした。

たった一人で年越しをしたこともあります。友達はいたのですが、みんな、彼氏がいたのよね・・・体調も崩し、一階下では年越しパーティーをしているようで、一晩中にぎやかなのに・・・さびしい思いをしました。

新年を地方のシャンブルドットで迎えたこともあります。そのときは、大規模なパーティーのミュージシャンとして、歌いに行きました。でも、会場がとっても寒くて寒くて・・・しかも、途中で停電。12時を回るときに電気を消すことは多いようですが、それではなかったのです!新年は、仕事をいれないようにしよう・・・と思ったことでした。

2fondusuisse ノエルのパーティーは、家族が集まっての食事、新年のパーティーのお誘いは、どちらかというと、友人同士みたい、という印象です。フォンデュパーティーとなることも。

ところで、声をかけてくれる人は喫煙仲間が多く、喘息気味になってしまった私には、タバコの煙は耐えられないもの。今年は完全に断りました。2006年を迎えるときは、子供とふたりっきりでした・・・テレビでムーランルージュのショーをみながら・・・

でも、できれば、個人的には新年は地方で迎えたい。パリでは、爆竹を鳴らす人が多くて、アパート内の内庭にまで、飛んできます。うるさいんです。

ごおおんと鐘の音で迎える、静かな年が恋しいです。

クリスマスツリーなど、クリスマスの飾りつけは、まだまだそのまま。エピファニーと呼ばれる1月の日までは、どこもそのままですので、うちも、ちいさなツリーを出しっぱなし。正月用の飾りはありません。ノエルには、薪の形の小さいケーキ、エピファニーにはガレット、とそれぞれのお菓子があります。でも、年末には、両方とも売られているみたいです。

「日本ではノエルを祝うの?」とフランス人に聞かれると、「もちろん大商業祭よ」とつい答えてしまいます。でも、まだ祝日にはなっていませんよね?ノエルは、あくまでも、フランスでは祝日。

1月1日も、もちろん祝日。2007年は日曜日ですね。クリスマス休暇が遅めに始まったので、学校の再開は日本並みに1月8日から。2005、2006年は、休暇がもっと早く始まり、2学期の開始は1月3日だったのです!(このせいでしょうか、今年はのんびりできるのは?)

学生生活が長く、しかも卒業後も高校で講師をしていた私には

「正月三が日」及び「1月8日再開」

というのが、しっかと染み付いており、いまだに、「1月は3日まで休むもの」なのです。

すみきった青空、冷たい空気、風の中、新年はしみじみと迎えたい。

Cimg39310005 どんより曇り空が続く中、ノエルと新年がやってきて、突然ワーッと飲んでさわいで、(このときばかりは、みんな結構酔っ払っています)、翌日けろっと忘れたように始業!?今年なんて、2日が月曜なのに・・・3日からレッスンが始まった2006年、1週間の間、みんな疲れてノリが悪かったです。(コレは珍しくある晴れた日に)

Cimg40170002 チーズ(冬限定のモンド-ル)・ワイン・パンの豪華3点セット。生牡蠣もいいけれど、私はどうも普通のゴハンがいいみたい。えーと、おもちはどこへしまったんだっけ・・・?もうなかったっけ?

ではみなさま、よいお年をお迎えください。

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作詞家ピエール・ドラノエ永眠 pierre delanoe

作詞家ピエール・ドラノエさんが永眠されました

DELANOË Pierre 1918生まれ。

"Mes mains"メマン・私の手

"Marie Marie"マリーマリー,

"Nathalie", "L'Orange",

"Et maintenant", など、日本でもおなじみであろうと思われるシャンソンのほか、"Aux Champs-Elysées", オーシャンゼリゼのフランス語歌詞をつけたのもこの人です。

les Compagnons de la Chanson,Tino Rossi, Yvette Giraud,Bob Azzam, etc... pour Gilbert Bécaud, Michel Fugain, Nicoletta, Michel Sardou.

など多くの歌手のためにかいています。

ミスターサマータイムとして日本で大ヒットした曲は、もとは”l'Eté indien"のタイトルで、ジョーダッサンが歌った曲。

ウイキペディアにはまだのっていませんでしたが、こんなところで見つけました。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Goldorak

フランスでヒットした日本のアニメのテーマソングも彼が書いていました。

ご冥福をお祈りいたします。

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1993年のクリスマスイブ

1993年の今頃、私はパリ・ノートルダム寺院に聖歌隊メンバーとして通っていました。

ノートルダム寺院の子供の聖歌隊は以前からあります。私が入ったのは、大人の聖歌隊として90年ごろに発足したものでした。おもしろいことに、日本にいた頃、子供の聖歌隊と一緒に演奏したことがあります。そのときのディレクターはもう引退されていたようですが、不思議な縁を感じました。(ちなみにその頃は、私も未成年でした)

ソプラノ3名アルト3名といった具合に、人数的には少ない聖歌隊です。わけのわからないままオーディションを受けてみて受かって、外人への登録書類もろくに読めないまま入隊?入学。事務の方は、あーあ、こんな日本人を入れちゃって・・・と思われたかもしれません。

聖歌隊で歌うだけかと思っていたら、実は学校で、授業がもりだくさん。歌に関する授業は、週4回。基礎テクニックの先生が一人(週2)、曲作りのピアノ演奏者たちが、全部で4人(!)(隔週ふたりずつ、週に2回)グレゴリオ聖歌の授業もあり、ジェラ-ル・レーヌのお姉さんの授業を受けることができました。

実技に徹底した学校で、面白かったのですが、私には、大きな障害が待ち構えていました。 ノートルダム大聖堂は、非常に寒かったのです。毎日夕方のミサでうたい、日曜のミサも朝早くから参加します。ミサに参加する分には楽譜を読んで歌えばよいので、そこで、小節数をとおして、数にも譜読みにも強くなりました(?)それはともかく、

とってもとっても、寒かったのです。 ミサの時には、青いユニフォームを着ます。だんだん私はセーターを2枚3枚と厚着をするようになり、皆に「シュワルツネガーじゃん」とからかわれました。 でも・・・それでも、寒かった。ミサは長い時間続くものではないけれど、ただ立ってミサの信仰を待つ間にしんしんと寒さがしみこんでくるのです。ダウンしました。

ノエル(クリスマス)には、大きなミサが待っています。その準備に、聖歌隊の配置を決めるためノートルダムの古い小さな石の階段を上ったり降りたり。なんども練習を重ねるうちに、私は決心してしまいました。

体力がついていかない。授業がたくさんあるのはうれしいけれど、朝早くて声が出なくては意味がないじゃないか! そうして、クリスマスを最後にやめてしまったのです。

たぶん、入ったのも一人目の日本人だったかもしれませんが、秋に始めた学校を短期間でやめるなんて ”日本人として”初めて・・・だったんでしょうね。自分としても初体験でしたが、これも、今思えば、選択していく人生の第一歩だったのかもしれません。

家へ帰るとラジオやテレビをつけます。当時流れていたのはヴェロニク・サンソンや、外国のロックや、クイーンのthe show must go on.(大好きな曲です)

中世より古いグレゴリオ聖歌をうたって、うちでは20世紀のロック。

今も、あんまりかわっていません。

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人類のるつぼ

ニューヨークといえば、人類の坩堝、メルティングポット。実は、パリも、人類のるつぼなのだけれど、なんとなく、NYほどは、そういわれないような気がします。

今私が教えている音楽学校は、生徒のほとんどがフランス人社会人の方々。子供クラスもあります。こうして「フランス人生徒」とつい書いてしまうけれど、名前のリストを見ていると実にいろんな響きがあります。イタリア系、スペイン系、スラブ系、アフリカ系、アラブ系?あまりないのはドイツ系?実は私はユーロアジアン」という生徒さんもあります。アジアの雰囲気が全く顔に出ない人もいるので、いわれてびっくりします。里帰りにスペインの両親の元へ帰る、という人、いとこがフランス海外圏、という若い生徒もいます。

講師陣も負けてはいません。日本人は私ひとりですが、スペイン人の先生、ベルギー系の先生、ポーランド3世の先生。日本語ぺらぺらの日仏ハーフのピアノの先生もいらっしゃるのです。

NYほど世界的に話題にならなくとも、パリって面白い都市だと思うようになりました。パリにいながら、その気になれば、いろんな言葉や文化に出会えるところ。そして、それぞれのコミュニティに閉じこもることなく、交わっていけるところです。私は、次はフランス語以外のことばでうたいたいと、欲張ったことを思い始めました。そうして、イマジンのように、世界のどこでも、いろんな人種が仲良く暮らしていけるといいな・・・安易な考えだけれど、そう願います。

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寒い寒い!!!!

冬がやってきました・・・最高気温が10度を超えない日、それでいて、雨が細々降っている日。もう少しで雪になるんじゃないかと思うほどです。

今日はパリに住む(一部の)人にはちょっと特別な日。パリの南部に、トラムウエイが新設され、今日開通なのです。

パリはまぁるい形をしていて、その周りを、道路が通っています。そこにバスも走っていましたが、なかなか、進み具合が悪いのです。そこに、パリの南の方に、8キロほど続くトラムが、5年かかって建設されました。仕事に行くときに、試運転を横目にしながら通っていましたが、やっとやっと今日、本当に開通の運びとなりました。

政治的にはいろいろあるようですが、なんといっても、車よりは”エコロジー”のはずだし、バスより本数も多く、優先権があります。できれば、パリの周りをぐるりと取り巻き、また、パリの中をせめて2本、縦横に通って欲しいところ。欲張りなようですが、一応、計画はあるそうです。でも、・・・・8キロに5年をかけたトラム「T3」の次のトラム、(T4は、すでにパリの外で走っています。)いったい、いつできるのだろう・・・

さむい、灰色の空の下、いかにも、パリ!の空の下の開通式でした。

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nouvelle star

先日「スターアカデミー」なる番組のことを書きました。実は私はもうひとつの局のオーディション番組の方が好き。

その名もnouvelle star 新星を探して~「スター誕生」というところです。(年代がばれる~)今年4年目にあたり、その間に素敵な歌手がでました。優勝者がアルバムを出せるという条件でしたが、決勝、準決勝になった歌手もたいていはデビューしています。

今年の優勝はクリストフ・ウイレム。本当にうまい歌手です。とりあえず、シングル「サニー」がでていますが、アルバムはまだ、待たされています。このとき、番組の最終回、決勝を分かち合ったのが、ドミニク。フランス海外県の出身の、たっぷりふくよか~名黒人歌手です。そこから連想されるように?ゴスペルはすばらしく素敵です。でも、番組では毎週違うテーマが出され、皆、シャンソンとか、自分の生まれた年のCalling youもよかったけれど、ヒット曲など、いろいろなジャンルの曲を歌いこなさなくてはならないのです。彼女の歌った昔のシャンソンも・・・それは暖かく、存在感のあるものでした。

ミス・ドミニク

最新アルバム、でたところです。

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日本とフランスのシャンソニエ

日本のシャンソニエといわれて思い浮かべるのは「銀巴里」でしょうか。
初めて行った当時、私はミュージカルが好きでした。
出演歌手の中に、ミュージカル俳優さんもまじってらして
うれしいおどろきでした。
遠くの舞台で見ていたあの人が、目の前で歌っているなんて。

地元でも、シャンソニエにお邪魔したことがあります。
まさしく、フランス留学から帰国されたばかりの歌手の方が、
お客さんと一緒に楽しいコンサートを展開されていました。

フランスでは、モンマルトルの、かの「ラパン・アジル」へ。
少しは聞き取れるようになっていた頃で、
全部はわからなかったけれど、
フランス人歌手たちが楽しんで歌っていたのが印象に残っています。
狭くて、暗くて、なんだか、タバコの煙がいっぱいだったような記憶があります。

ここは、少し前に、夜、前を通ったついでにのぞき聴き?してみたら、
「フランス勝ったぞ~」なんて、機嫌よく合唱してるのが聞こえました。
サッカーの試合の少し後でした。本当は優勝ではなかったんだけど、
あれはうさばらしだったのかしら!?
まるで、六甲おろしのノリ!

今の日本のシャンソニエの様子は想像するしかありませんが、あれからまた、いろんな素敵なお店が出来たことでしょう。

もう一軒、あるレストランへ行ったときは、
おなかいっぱいになった後、お店の主人らしき人がギターを抱えて登場。
それこそ「手の届く」目の前で、いろんないろんな曲を歌ってくれたのです。
リクエストが思うように出来ない自分のフランス語がもどかしかったです。

ラジオやテレビに出てくるスターたちも、その前まではこうして、
「手の届く」ところで歌っていたのかもしれない。

昨今、弾き語りは少なかったのですが、また少しずつ戻ってきています。
人生の永遠の課題恋愛、人生の深みを歌う歌から、たあいないチョコレートのお話まで
詩の内容はとってもバラエティに富んでいます。

シャンソンは分類し切れなくて、フランスでは
文字通りVARIETEヴァリエテ、と呼ばれています。

手の届くところで、目の前で、
シャンソンは、どこにでも、ある。

シャンソンは、懐の深い「うた」。

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