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2007年2月

nouvelle star 2007!!!

前にも書きました、私のお気に入りの音楽番組が明日始まります。その名も

nouvelle star

(同じ番組はアメリカでは「アイドル」になっているそうです。)

きっと去年の秋からオーディションが各地で進んでいるはずです。時には、お隣ベルギー、スイス、はたまたカナダでもオーディションがある年もありました。この番組はこれで5シーズン目。そう、年中あるのではなく、こうして一定期間、毎週放送されます。前半は、オーディションの録画で構成されていますが、後半からは初回に10人にしぼり、そのあと、一人ずつ減っていく、という番組です。

前宣伝のため、テレビに流れているのは・・・casserole・・・・たち。

「なべ」の意味です。音痴・・・のはずなのですが、それだけでもない。これだけ人気番組になってくると、最初から、受け狙い、テレビに流れるのが目的の人も増えてくるのですね。彼らは、受からない、ということをわかっているし、審査員を笑わせるために来るようなものです。しかし、これが、番組の華でもあります。中には、真剣なのだけれど、力がついていかない人もいます。「歌のレッスン受けてるの?」「ハイ」「やめなさい」

・・・・4年以来の同じメンバーの審査員たち、年々、強烈になっていきます。プロがそろった審査員ですから、すごいです。でも彼らのいいところは、はっきりしているところ。怒鳴りあうくらいけんか腰のときがあっても、それは自分のお気に入りの歌手を守るため。笑えるときには、思い切り笑ってる。歌手(クラシックからロックまで!)マリアンヌ・ジェイムス、プロデューサー(太陽王ほか)ドーヴ・アッティア、国際的ドラマーマニュ・カッチェ、作曲家で、しゃべりだしたらとまらない(あれ、度忘れ、あとで書こう)

はんぱな、うそっぽいまじめさはない。本当にまじめなのです。水準の高い歌手を求めているのが、よくわかります。音楽に対するプロ意識と、愛を感じます。

きっとネットでも、少し様子がわかることでしょう。ああ、たのしみ~~~

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千の風になって

4月に日本へ行きます。ショパン歌曲コンサートのほかに、限定のオフ会サロンコンサートも企画していただいています。その企画の方から、リクエストをいただきました。「千の風になってをうたって」と。この頃の日本の歌は、ぜんぜんわかりません。早速教えていただいたネットへ。

詩を読んだだけで、私はもう涙目です。

楽器演奏だけでは、歌詞の配置がわからないので、いろんな録音を聞けるサイトを発見しました。美しい女の子の声、英語版・・・3つしか聞いていませんが、結局ぐさりと来たのは、作曲された新井さんご自身によるものでした。

久しぶりに、日本語の歌を聞いて泣きました。

2005年のリサイタル準備中1ヶ月前に、高校で教えていた生徒の訃報が飛び込んできました。そういえば、ひさしぶりにメールをもらうなあ、と喜んであけたら、そこには信じられない内容が。もちろん、本人ではなく、家族の方が出してくださったものです・・・

歌えるのだろうか、というくらい、毎日泣きました。

プログラムには、彼女が好きそうなフレンチジャズが入っていました。練習するたびに涙が出ます。迷っていた曲を、追加することにしました。生と死をうたう、読めば読むほど、歌詞がわかってくればくるほど、つらくて歌えない。私は泣き虫なので、詩の内容に心をうたれると、そこでのどが詰まってしまうのです。でも、これは、プロとして、乗り越えなくてはなりません。ここで泣いてばかりいたら、彼女もあきれ返るでしょう・・・1小節歌っては、涙が出る、ピアノの手がとまる。よし2番まではなんとか続けた、あと少し、3番・・・と思うと、そこに出てきたひとことが声に出せず、また、のどが詰まる。

太陽のようだった彼女のことを思いながら、泣きながら練習しました。なんで死んじゃったの、と、何度も思いながらでした。

でも、日本で元気にしていたら、彼女はコンサートには確実に来られない。今なら、彼女は何処にだっているのだからコンサートを聞いてもらえるんだ、と思って当日を迎えました。

2007年には2回目のリサイタルのタイトルは映画「ネバーランド」からでした。こちらも、同じような背景が絡みます。

千の風も、ネバーランドも、きっと同じところにあるのでしょう。えらいリクエストをいただいてしまいました。しばらくは、涙目のままでしょうが、プロとして乗り越えたいと思います。

http://www.twin.ne.jp/%7Em_nacht/1000wind/1000wind.html

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こころの旅

心の旅っていうのは日本の歌のタイトルでしたね・・・

フランス、パリ地区は、冬休みに入りました。フランスの休暇は主に、フランス国内を3つほどの地域に大まかに分けて、それぞれ1週間頬ずらしてバカンスが始まります。1月8日に3学期が始まったら、3月20日まで授業が続くのは日本。フランスではクリスマス休暇の後、4月の春休みまでに、この「冬休み」があります。要するに「冬の山へ、幸の世界へ遊びにいってらっしゃい」ということなのだそうです。

寒さの苦手な私は・・・・こうしてパソコンの前に座ってるのも好きです。

メトロの中でふと気がつくと、「外人さんが多いな」ということ。ヨーロッパの人々の、いろんな言葉も聞かれるのが、休暇の特色です。ひげも生えていない少年達なのに、フランスの大人顔負けに背が高いのは、これはイギリス人ではなくて、オランダから来た子たちかな?などと、好き勝手に想像しています。

日本では、大学もそろそろ休みに近づいているのでしょうか。卒業旅行などで、日本人旅行客もだんだん増えてくる時期でしょうね。単なる観光だけではなくて、パリで歌のレッスンも受けてみたい!という方にも、こちらでお会いできる季節です。

少しずつ暖かくなってくるこの時期、新しい出会いが生まれますように。

音楽サイト雑歌屋http://zakkayamusique.hp.infoseek.co.jp/

新しいスタイルの旅行プラン

http://www.french-styles.com/index.htm

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シャンソンを歌う、ということ

先日のリサイタルは、実は少し特殊な舞台でした。クラシックである「ショパンの歌曲」は”アコースティック”。弾き語り、シャンソン、ジャズではマイクを使う、という、音響の有無を重ねたものだったのです。クラシックを歌うときは、(野外劇場でもない限り!)マイクを使うつもりはありません。また、広い会場でシャンソンやジャズを歌うのに、クラシックの声を持ち出したくはないのです。

クラシックと、それ以外、とはっきり境目を付けたい人には、邪道に写るかも知れませんね。私は要するに”電気はイツ切れるかわからない”ということで、マイクに頼らず歌えるようになることも大切だと思っているのですが、マイクの魅力も学びました。マイクは、息の音さえ拾うような小さな声だからこそできる表現を拾ってくれるのです。そして、それが表現の選択肢を広げてくれます。

私は一度、ジャズの歌の講習会を受けたことがあります。先生は、ミッシェル・ルグランの姉、クリスティアンヌ・ルグランでした。譜読みなどには慣れているので新曲をこなすのは無難にすむし、たまたま同じ声楽の先生についていたということがわかり、私のフランス語の問題はともかく、いたってレッスンは無難にすみました。が、一番うるさく言われたのは

「アキコ、声が大きすぎる、マイクから離れて!マイクを離しなさい!」

でした。マイクのことを、本当に私は知らなかったのです。

先日の会場のマイクは、これまた、たいへん性能のいいもので、10センチ離れていようがカンタンに音をひろってくれるタイプでした。安いマイクでは、クチをくっつけていないと音が入らないのですが、ここのマイクはワイヤレスの上、こんなにラクに音が入る・・・・また、音響スタッフに教えてもらいながらのリハーサルでした。

第一部ではショパン一作品を含む5曲を弾き語り。なぜかこの半年、心にひっかかり、琴線に触れ、なんとしても歌いたい気持が強かった曲でした。そのなかのひとつ、皮切りは、以前にも書いた「私は病気」・・・恋の病、です。(恋の病、と書いてしまったのですが、この題名の曲もありますので、ややこしくなりそう。)

実際に風邪の病み上がり、練習しながら咳が出たりして、これを本番でやったらしゃれにならん、と思っていましたが、無事咳は隠れていてくれました。

この歌の疑問は、「男の歌か、オンナの歌か?」というところ。日本でも、男心の演歌を女性が歌うことはありますから、別にとやかく騒ぐつもりはありませんが、その詩の内容を受け取るには、少し考えておいてもそんはないと思うのです。

重複しますが、恋の相手にふっと出て行かれて「母親が夜、子供の自分をひとり置きざりにし、どこかに行ってしまったみたいに気分が悪い」と思うのは、これは、男性的なのかもしれません。

でも

「好きなときにふらっとやってきて、また出かけていくけれど、何処へ行くのかもわからない」

「何を飲んでも、酒の味ももう、どれも変わりない。」

「船の旗には、あんたの印がはためいている。あんたは何処にでもいる、私は何処へ行ったらいいのかわからない」

・・・このあたり、私にとっては、どうしても「女心!」なのです。(ですからつい、「あんた、と書いてしまいます。)

「あんたのせいで、歌も、コトバも取り上げられた、私には才能があったのに」

・・・・これは、もしかして昔大好きだった、中島みゆきさんなどの詩を連想しているのかも知れません。

歌詞をよく見ると、形容詞は男性形になっていますので、ざっと文法で見ると「男の」歌、なのです。でも、私はしみじみ・・・女性に似合う、と思いました。

さて、シャンソンは後2曲、連れ合いのディミトリに伴奏を頼みました。

「懐かしき恋人たちの歌」

ジャック・ブレルの名作のようですが、私は、若い、デビューしたばかりのクリストフ・ウイレムという歌手がオーディション番組で歌っている時点での録音に心を動かされ、選びました。.そのときにも、すべての歌詞をはっきり聞いていたのではありませんが、サビがあまりにも印象的でした。

「恋人よ、光り輝く夜明けから、日が暮れるまでずっと愛している」

静かに繰り返し歌われるこのサビ。愛を毎日語っているのが見え隠れするパリで、そんな人たちが身近にいました。女性が亡くなったときにも、静かに泣きながら、その手を握ったまま、je t'aimeといい続けたその人の姿が思い出されて仕方ないのです。日本では想像もつかないかもしれないけど・・・

詩の内容は、またあらためて訳してみたいと思います。これは、文法から見ると明確に本来、男性の歌です。日が暮れるまで・・・とは、一生・・・と同じ意味。いろんなことがあった、お前はオトコも作ったけれど(あくまでもオリジナルは男性形です)・・・と・・・

互いに、いろんな道をたどりながら、やはり、「あなたを」愛している・・・といいたいのです。

男性の歌だけれど、やはり歌いたくて、歌いました。練習していても、涙がこぼれる歌、それは、別に自分の歌に聞きほれるわけではなくて(!)詩の内容に、あまりにも心を打たれるから。

ダリダが歌った曲「一人で生きないために」(邦題探しています)も、クリストフ君が歌ったものでした。女性が歌った曲を男が歌い、私がまたその曲を歌いたい、と思いました。(私にとっては、それほどクリストフは魅力ある歌手なのです!)短い歌詞は、わかりやすいものです。一人で生きないために、人は好きなものをみつけたり、集まったりする・・・けれど、私はあなたといるけれど、やはりひとり。一人で生きてはいないという幻想をもつために、私はあなたを愛し待っている。

ダリダの人生は想像するしかないけれど、もし、孤独をかみ締めていたのだとすると、こんな身にしみてくる歌詞もありません。とはいえ、人間確かに「二人分の棺おけはない」とここで歌われるように、一人で生まれ、一人で死んでいくもの。ここでもつ「一人」の意味をも、考え直しました。

ショパンの歌曲も、暗いものから明るいものまでいろいろあります。

プログラムには、ここで明るいロック風のジャズをいれ、馬に乗って、希望に向け勇敢に旅立っていくショパンの作品へ、とバトンタッチしたのでした。

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第2回パリ リサイタル終了

無事にリサイタルが終わりました。足をお運びくださった皆様、どうもありがとうございます。今日は、とてもお天気がよく、2時間ホールにいるよりは、散歩したいね!っていう感じの日だったのです。本当にありがとうございます。

2回目のリサイタルは、ショパンにひかれて、どうしてもどうしてもショパンを歌いたくて、それを中心としたプログラムとなりました。そのきっかけを作ってくれた、ポーランド3世の生徒たち、ありがとう。ポーランド語の発音と、辛抱強く理解を助けてくれたイオアナ、ありがとう。長いこと風邪をひいてへこみましたが、よりよいものにしたいという私のしつっこさをさらに助けてくれた、キヨミちゃん、あの人、この方、支えてくれた人々。ありがとうありがとう。

24歳のお誕生日なの~2月4日だし~などと言いふらしておきました。(ほんとは42歳)コンサートに大きな花束をいただいて、今、家は春の香でいっぱいです。

それが、花瓶は何とか見つかったのですが・・・おくところがないわ~

(*^_^*)

お誕生日・・・おかあさん、お父さん、ありがとう。

で会うことができた皆さん、どうもありがとう

^/^

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リサイタル2007

2月4日のリサイタルが近づいてきました。しかし、クリスマスのあと、タバコがおそらく原因で始まった風邪が、しつこい鼻炎という形で残り、体の抵抗力も落ちているところへ関節リウマチの治療の薬がやってきて、さらに抵抗力が落ちた・・・・ためか、まだ本調子ではありません。やっと、この月曜から、レッスンを再開しました。

さすがに耳鼻科へ行き、ステロイド吸入を3週間(!!)という長い治療、つまりコンサートが終わっても、治療は続くのです。まだ、いつ出てくるかわからない、から咳があります。それが、いつか、なぜか、という理由がわからず出てくるので、これはもう、心配したって仕方ない~

気をつけるべきことは、声が出せるようになり、歌えるようになったな、と思ったところで多く歌うと、その日は歌えても、その後にもっとひどいことが待っている、ということ。・・・”乗り越えて”うたい、正しい歌い方をしていたとしても、粘膜も筋肉も疲労しますから、一気に疲れが出てダウン・・・そのあと、しばらく声が出せなくなる、ということもあります。残念ながら、風邪をおして歌ったための、リアルな自分の経験です。

Je suis maladeもプログラムに入っていますが、これでは・・・しゃれになりません・・・

(^_^;)

でも、歌います。

プログラムを見せてもらったら「リサイタル」と書いてある、そうそう、リサイタルなんだっけ。クラシックと、ジャズと、二人伴奏者を迎えますので、ひとりで、という気分がありません。それに、歌は、一人より、ピアニストとふたりで作る世界です。

パリでの最初のリサイタルは2005年のことでした。40歳祝い?のつもりでした。一月前の11月2日、高校での教え子が急死したという知らせが入りました。名前のように、清く美しく、太陽のような、素直な人でした。信じられない思いでいっぱいで、もう一回、メールくらい送ってくれないかな、などとぼんやり思いました。多くの生徒に出会ってきましたが、訃報が入ったのはこのときが初めてで、いったいどうしたらよいのかわからず、涙はとまらず・・・

連絡をいただいたときには、お葬式も済んでいました。たとえ、直前に知らされていても、日本でのお葬式にすぐに飛んでいけるはずがありません。メールを使って、家族からの連絡があっただけでも、よかったのです。

泣きながらの練習。そして、迷っていたけれど、このことによってプログラムに入れる曲を決定しました。彼女へささげる歌、死という言葉がなくとも、どうしても死を思わせる詩。死と相対するからこそ思う「生」。

彼女が日本にいたら、確実にコンサートには来てもらえない、けれども、彼女は今、自由になってどこにでもいるから、コンサート、聞きに来てくれるんだ、と思いました。

本番は泣かずに歌いました。彼女が、また、私を一歩、前進させてくれました。

実は自分の42歳の誕生日祝いとなる今回のリサイタル、プログラムの中心はショパンです。ショパンというと、別れの曲?雨だれ?ピアノ曲?それが、ショパンは歌も書いていたんです。ポーランド語です。

歌曲を中心にとりあげますので、それは、当日のお楽しみ。でも、前回に同じく、クラシックのみではないシャンソンとジャズのあれこれプログラム。そして、強く心に響いたシャンソンを選びました。

"INVITATION TO NEVERLAND"

というタイトルは、ジョニー・デップの映画から。ピーターパンのモデルになった男の子のお母さんは、おそらく結核で亡くなって、Neverlandの住人になったことでしょう。身内の死になくことがあっても、昔に(結核で)亡くなったショパンに泣くことはありません。彼も、同じNeverlandにいるのでしょう。そして、そこにきよみちゃんもいます。

では、ラストスパート・・・・・・・

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