日本公演・レッスンのお知らせ

090416f_1s もうすぐ日本へ出発、これは主に、イギリスのバロック音楽の演奏のために。今年はヘンデル没後250年なのです。そしてイギリスで活躍したパーセルという同時代の作曲家の生誕記念350年もあります。

歌のレッスンもすることになりました。

東京17日、名古屋19日、京都21日(主に午後)

初めてフランス語で歌うという方から、クラシック声楽、シャンソン、なんでもありです。お申し込み、詳細のおたずねはこちらへどうぞ。zakkayamusic@live.jp

イギリスで音楽学者となった大学の先輩松本直美さんの構成・解説と、後輩のチェンバロでおおくりするレクチャーコンサート

「オフィーリアの歌を辿って」

東京16日19時 東京オペラシティ近江楽堂、

名古屋18日午後14時 電気文化会館イベントホール

高槻20日19時 高槻現代劇場3Fレセプションルーム

オンライン予約 http://zakkayamusique.hp.infoseek.co.jpからお申し込みまたは上記のメールへ直接ご連絡ください。

東京文化会館チケットサービス、愛知芸文プレイガイド、ヤマハプレイガイド、高槻現代劇場、ぴあでチケット好評販売中です。

他の詳細は 雑歌屋http://zakkayamusique.hp.infoseek.co.jpにてどうぞ。

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そしてお次は日本のおすすめコンサート紹介

今度は、シャンソンではなく、私が昔歌っていたフランスのバロック・オーケストラ。
エルヴェ・ニケ指揮の”ル・コンセール・スピリチュエル”

今日から日本公演!

25日(土) 5時 名古屋 愛知県芸術劇場コンサートホール
26日(日) 2時 大阪シンフォニーホール
28日(火) 7時 東京オペラシティコンサートホール

プログラム:ヘンデル「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」他

贅沢な管楽器がある模様です!

きれいなだけではなくてダイナミックな古楽。どうぞ足をお運びください。

パリ音楽サイト 雑歌屋

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ストが続くパリ

パリは一週間前からストが続いています。私は毎日は出ない。それでも毎回心配でうっとおしいこと。「行きはよいよい帰りは怖い」ですから・・・トラムウエイ25分待ちでも乗れそうならばよい。それが「9時15分で終了」なんて放送されると、どきりとします。

さて、このストの中、日本からの歌手の皆さんも到着されている模様です。

23日(金)夜8時よりsalle Gaveau

「バルバラを歌う」

マリ・ポール・ベルをはじめ、日本人の歌手も多数出演されます。ストが続くかもしれないけど私はがんばって行きます!

・・・・

そして今夜テレビでは、フランス・ガルが出演のミッシェル・ベルジェへのオマージュ番組です。彼も死後15年。今年はいろいろ多いですね。いい曲が多いです。80年代のサウンドそのものが懐かしいともいえましょうが、いい曲。いい詩。その頃私は日本にいたけど、フランスは古い曲もよくラジオに流しますから、いまやおなじみの曲もあります。

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感動と上達

もうすぐ学年末・・・フランスでは6月末で授業が終わります。歌のクラスでは、明日月曜夜に、生徒によるコンサートを行います。曲決めをし、明日に向けて仕上げしてきました。今年は男性が多かったのでシューベルトをまとめてやってみようと思ったのですが、ドイツ語なので、時間的に忙しい人は途中で無理となったり、最初から取っ付きが悪い人も。他の生徒さんはクラシックのみ、ということはなく、varieteシャンソンも、英語の映画音楽もありといったところです。常連でも仕事や体調で休みがち、でも熱心な生徒さんもありますので、そういう場合は短期間にできる曲をふたりで探します。

イタリア古典歌曲、ドイツリート、フランス歌曲はフォーレ、プーランクなど。

シメは、今年はヴァリエテで。ホテルカリフォルニアを、本人によるギター伴奏つきで、そして、男性のほうではなかなかいけるO氏による「愛の賛歌」。彼はもともとうまい。セミクラシック、ミュージカルナンバーなどが似合います。合唱で歌うはずだった愛の賛歌、ここでうたうことにしました。テクニック的には、ツーといえばカーに近くなり、一言言えば、割と本人が自分で直せるようになってきています。(そうです、レッスンは、それが目的なのです!)

最後のレッスンでは、歌うのをやめ、何度も読んでもらいました。そうして最後に歌ってもらった時には、こちらも感動するようなできあがり。感受性のよい人は、比例するように歌も上達するものだな・・・技術も大切だけれど、技術だけではないのだな・・・思い、惚れ惚れしたひと時でした。

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歌をうたおう

歌をうたう。普通の人の普段の生活の中に、歌は、または音楽はどれくらい場所をしめるのだろう。私はいつもその中にいるので、想像は少しつきにくい。

レッスンを始めた方が、楽譜を読むのは20年ぶり!とおっしゃる。

こんなに声を出して歌うのも久しぶり!とおっしゃる。

そんな方と、久しぶりの”ディスカヴァリー”(発見!)のひとときを過ごすレッスン。

一緒に歌を楽しめたら幸いです。

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千の風になって

4月に日本へ行きます。ショパン歌曲コンサートのほかに、限定のオフ会サロンコンサートも企画していただいています。その企画の方から、リクエストをいただきました。「千の風になってをうたって」と。この頃の日本の歌は、ぜんぜんわかりません。早速教えていただいたネットへ。

詩を読んだだけで、私はもう涙目です。

楽器演奏だけでは、歌詞の配置がわからないので、いろんな録音を聞けるサイトを発見しました。美しい女の子の声、英語版・・・3つしか聞いていませんが、結局ぐさりと来たのは、作曲された新井さんご自身によるものでした。

久しぶりに、日本語の歌を聞いて泣きました。

2005年のリサイタル準備中1ヶ月前に、高校で教えていた生徒の訃報が飛び込んできました。そういえば、ひさしぶりにメールをもらうなあ、と喜んであけたら、そこには信じられない内容が。もちろん、本人ではなく、家族の方が出してくださったものです・・・

歌えるのだろうか、というくらい、毎日泣きました。

プログラムには、彼女が好きそうなフレンチジャズが入っていました。練習するたびに涙が出ます。迷っていた曲を、追加することにしました。生と死をうたう、読めば読むほど、歌詞がわかってくればくるほど、つらくて歌えない。私は泣き虫なので、詩の内容に心をうたれると、そこでのどが詰まってしまうのです。でも、これは、プロとして、乗り越えなくてはなりません。ここで泣いてばかりいたら、彼女もあきれ返るでしょう・・・1小節歌っては、涙が出る、ピアノの手がとまる。よし2番まではなんとか続けた、あと少し、3番・・・と思うと、そこに出てきたひとことが声に出せず、また、のどが詰まる。

太陽のようだった彼女のことを思いながら、泣きながら練習しました。なんで死んじゃったの、と、何度も思いながらでした。

でも、日本で元気にしていたら、彼女はコンサートには確実に来られない。今なら、彼女は何処にだっているのだからコンサートを聞いてもらえるんだ、と思って当日を迎えました。

2007年には2回目のリサイタルのタイトルは映画「ネバーランド」からでした。こちらも、同じような背景が絡みます。

千の風も、ネバーランドも、きっと同じところにあるのでしょう。えらいリクエストをいただいてしまいました。しばらくは、涙目のままでしょうが、プロとして乗り越えたいと思います。

http://www.twin.ne.jp/%7Em_nacht/1000wind/1000wind.html

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第2回パリ リサイタル終了

無事にリサイタルが終わりました。足をお運びくださった皆様、どうもありがとうございます。今日は、とてもお天気がよく、2時間ホールにいるよりは、散歩したいね!っていう感じの日だったのです。本当にありがとうございます。

2回目のリサイタルは、ショパンにひかれて、どうしてもどうしてもショパンを歌いたくて、それを中心としたプログラムとなりました。そのきっかけを作ってくれた、ポーランド3世の生徒たち、ありがとう。ポーランド語の発音と、辛抱強く理解を助けてくれたイオアナ、ありがとう。長いこと風邪をひいてへこみましたが、よりよいものにしたいという私のしつっこさをさらに助けてくれた、キヨミちゃん、あの人、この方、支えてくれた人々。ありがとうありがとう。

24歳のお誕生日なの~2月4日だし~などと言いふらしておきました。(ほんとは42歳)コンサートに大きな花束をいただいて、今、家は春の香でいっぱいです。

それが、花瓶は何とか見つかったのですが・・・おくところがないわ~

(*^_^*)

お誕生日・・・おかあさん、お父さん、ありがとう。

で会うことができた皆さん、どうもありがとう

^/^

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リサイタル2007

2月4日のリサイタルが近づいてきました。しかし、クリスマスのあと、タバコがおそらく原因で始まった風邪が、しつこい鼻炎という形で残り、体の抵抗力も落ちているところへ関節リウマチの治療の薬がやってきて、さらに抵抗力が落ちた・・・・ためか、まだ本調子ではありません。やっと、この月曜から、レッスンを再開しました。

さすがに耳鼻科へ行き、ステロイド吸入を3週間(!!)という長い治療、つまりコンサートが終わっても、治療は続くのです。まだ、いつ出てくるかわからない、から咳があります。それが、いつか、なぜか、という理由がわからず出てくるので、これはもう、心配したって仕方ない~

気をつけるべきことは、声が出せるようになり、歌えるようになったな、と思ったところで多く歌うと、その日は歌えても、その後にもっとひどいことが待っている、ということ。・・・”乗り越えて”うたい、正しい歌い方をしていたとしても、粘膜も筋肉も疲労しますから、一気に疲れが出てダウン・・・そのあと、しばらく声が出せなくなる、ということもあります。残念ながら、風邪をおして歌ったための、リアルな自分の経験です。

Je suis maladeもプログラムに入っていますが、これでは・・・しゃれになりません・・・

(^_^;)

でも、歌います。

プログラムを見せてもらったら「リサイタル」と書いてある、そうそう、リサイタルなんだっけ。クラシックと、ジャズと、二人伴奏者を迎えますので、ひとりで、という気分がありません。それに、歌は、一人より、ピアニストとふたりで作る世界です。

パリでの最初のリサイタルは2005年のことでした。40歳祝い?のつもりでした。一月前の11月2日、高校での教え子が急死したという知らせが入りました。名前のように、清く美しく、太陽のような、素直な人でした。信じられない思いでいっぱいで、もう一回、メールくらい送ってくれないかな、などとぼんやり思いました。多くの生徒に出会ってきましたが、訃報が入ったのはこのときが初めてで、いったいどうしたらよいのかわからず、涙はとまらず・・・

連絡をいただいたときには、お葬式も済んでいました。たとえ、直前に知らされていても、日本でのお葬式にすぐに飛んでいけるはずがありません。メールを使って、家族からの連絡があっただけでも、よかったのです。

泣きながらの練習。そして、迷っていたけれど、このことによってプログラムに入れる曲を決定しました。彼女へささげる歌、死という言葉がなくとも、どうしても死を思わせる詩。死と相対するからこそ思う「生」。

彼女が日本にいたら、確実にコンサートには来てもらえない、けれども、彼女は今、自由になってどこにでもいるから、コンサート、聞きに来てくれるんだ、と思いました。

本番は泣かずに歌いました。彼女が、また、私を一歩、前進させてくれました。

実は自分の42歳の誕生日祝いとなる今回のリサイタル、プログラムの中心はショパンです。ショパンというと、別れの曲?雨だれ?ピアノ曲?それが、ショパンは歌も書いていたんです。ポーランド語です。

歌曲を中心にとりあげますので、それは、当日のお楽しみ。でも、前回に同じく、クラシックのみではないシャンソンとジャズのあれこれプログラム。そして、強く心に響いたシャンソンを選びました。

"INVITATION TO NEVERLAND"

というタイトルは、ジョニー・デップの映画から。ピーターパンのモデルになった男の子のお母さんは、おそらく結核で亡くなって、Neverlandの住人になったことでしょう。身内の死になくことがあっても、昔に(結核で)亡くなったショパンに泣くことはありません。彼も、同じNeverlandにいるのでしょう。そして、そこにきよみちゃんもいます。

では、ラストスパート・・・・・・・

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。さまざまなできごとが、またクリスマスから新年の間にもおきました。

クリスマスを親戚と無事に過ごしたと思ったら、久しぶりの風邪をひいてしまいました。タバコの煙が引き金になったのか、菌が前からかくれていたのか・・・たいしたことがないといいな、と思いましたが、27日には微熱に発展、医者へ行くことに。抗生物質を増やしながらの年越しでした。だいぶ調子もよくなってきて思うことは「私っておしゃべりだったんだ」ということ。熱が出るほどカラダにきているときは、声もかすれます。それ以前に”ハラに力が入らず”、話したいという元気もなくなってしまいます。

幸い、こんなことはめずらしいこと・・・微熱ですんだだけ、よいほうです。

まだ歌うのには、日にちがいりそうですが、仕事始めは日本と同じように来週から。今年はゆっくりしたいと思います。(去年は3日からでした!)

田舎へ遊びに行きましたが、隊長もいまいちで、なんとも退屈、薬もさらに必要・・・ということで、早々にパリに戻ってきました。パリはうるさいし、狭いし、田舎よりよいというわけではないのですが、やっぱり、買い物もしたいし、休日をめいっぱい利用したい、と思う気持がうずうずしているところをみると、私ってやはり都会っ子の端くれなのかしら・・・と思ってしまいます。

本日は、作詞家ピエール・ドラノエの葬儀が行われました。実に4000作品、500曲のヒット・・・アズナブールなど、大物も迎えての式でした。

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1993年のクリスマスイブ

1993年の今頃、私はパリ・ノートルダム寺院に聖歌隊メンバーとして通っていました。

ノートルダム寺院の子供の聖歌隊は以前からあります。私が入ったのは、大人の聖歌隊として90年ごろに発足したものでした。おもしろいことに、日本にいた頃、子供の聖歌隊と一緒に演奏したことがあります。そのときのディレクターはもう引退されていたようですが、不思議な縁を感じました。(ちなみにその頃は、私も未成年でした)

ソプラノ3名アルト3名といった具合に、人数的には少ない聖歌隊です。わけのわからないままオーディションを受けてみて受かって、外人への登録書類もろくに読めないまま入隊?入学。事務の方は、あーあ、こんな日本人を入れちゃって・・・と思われたかもしれません。

聖歌隊で歌うだけかと思っていたら、実は学校で、授業がもりだくさん。歌に関する授業は、週4回。基礎テクニックの先生が一人(週2)、曲作りのピアノ演奏者たちが、全部で4人(!)(隔週ふたりずつ、週に2回)グレゴリオ聖歌の授業もあり、ジェラ-ル・レーヌのお姉さんの授業を受けることができました。

実技に徹底した学校で、面白かったのですが、私には、大きな障害が待ち構えていました。 ノートルダム大聖堂は、非常に寒かったのです。毎日夕方のミサでうたい、日曜のミサも朝早くから参加します。ミサに参加する分には楽譜を読んで歌えばよいので、そこで、小節数をとおして、数にも譜読みにも強くなりました(?)それはともかく、

とってもとっても、寒かったのです。 ミサの時には、青いユニフォームを着ます。だんだん私はセーターを2枚3枚と厚着をするようになり、皆に「シュワルツネガーじゃん」とからかわれました。 でも・・・それでも、寒かった。ミサは長い時間続くものではないけれど、ただ立ってミサの信仰を待つ間にしんしんと寒さがしみこんでくるのです。ダウンしました。

ノエル(クリスマス)には、大きなミサが待っています。その準備に、聖歌隊の配置を決めるためノートルダムの古い小さな石の階段を上ったり降りたり。なんども練習を重ねるうちに、私は決心してしまいました。

体力がついていかない。授業がたくさんあるのはうれしいけれど、朝早くて声が出なくては意味がないじゃないか! そうして、クリスマスを最後にやめてしまったのです。

たぶん、入ったのも一人目の日本人だったかもしれませんが、秋に始めた学校を短期間でやめるなんて ”日本人として”初めて・・・だったんでしょうね。自分としても初体験でしたが、これも、今思えば、選択していく人生の第一歩だったのかもしれません。

家へ帰るとラジオやテレビをつけます。当時流れていたのはヴェロニク・サンソンや、外国のロックや、クイーンのthe show must go on.(大好きな曲です)

中世より古いグレゴリオ聖歌をうたって、うちでは20世紀のロック。

今も、あんまりかわっていません。

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人類のるつぼ

ニューヨークといえば、人類の坩堝、メルティングポット。実は、パリも、人類のるつぼなのだけれど、なんとなく、NYほどは、そういわれないような気がします。

今私が教えている音楽学校は、生徒のほとんどがフランス人社会人の方々。子供クラスもあります。こうして「フランス人生徒」とつい書いてしまうけれど、名前のリストを見ていると実にいろんな響きがあります。イタリア系、スペイン系、スラブ系、アフリカ系、アラブ系?あまりないのはドイツ系?実は私はユーロアジアン」という生徒さんもあります。アジアの雰囲気が全く顔に出ない人もいるので、いわれてびっくりします。里帰りにスペインの両親の元へ帰る、という人、いとこがフランス海外圏、という若い生徒もいます。

講師陣も負けてはいません。日本人は私ひとりですが、スペイン人の先生、ベルギー系の先生、ポーランド3世の先生。日本語ぺらぺらの日仏ハーフのピアノの先生もいらっしゃるのです。

NYほど世界的に話題にならなくとも、パリって面白い都市だと思うようになりました。パリにいながら、その気になれば、いろんな言葉や文化に出会えるところ。そして、それぞれのコミュニティに閉じこもることなく、交わっていけるところです。私は、次はフランス語以外のことばでうたいたいと、欲張ったことを思い始めました。そうして、イマジンのように、世界のどこでも、いろんな人種が仲良く暮らしていけるといいな・・・安易な考えだけれど、そう願います。

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シャンソンとChanson

シャンソンってなんだろう?と考えることがあります。

「歌は世につれ、世は歌につれ」とは日本の名句ですが、これはフランスでも同じこと。Chansonというものは、フランスの歴史と生活に深く結びついていることでしょう。

フランス語にはもうひとつ、Chantという言葉もあります。たとえば”グレゴリオ聖歌”をあらわすには、このChantを使います。

”歌のクラス”にも、chansonではなく、chantを使います。

となると、chansonとは、歌曲、といったところでしょうか?

あるいは歌謡曲でもいいのかもしれませんが、この日本語をよく見ると、実は3つの漢字がすべて音楽に結びついているという、すごい言葉です。

そしてまた”歌曲”となると、おそらく日本語ではクラシック音楽の用語となります。「フランス歌曲」などがそうです。

でも、フランス歌曲をあらわすフランス語はMelodie”メロディ”なのです。

たったひとつchanson、という言葉の、このなぞ・・・何が後ろに隠されているのかな。そして、さらに「シャンソン」と日本語にしたとき、何が見えてくるのかな。

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シャンソンと生活

シャンソンというコトバは、フランス語で「歌」という意味。

パリにいてもどこにいても普通の生活があり、日々がある。

いろんなジャンルの歌にひかれるのは、

きっとそこに言葉の魂があり、

一人一人の違う声があるから。

声の向こうには、人生と暮らしがかくれている。

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