2月4日のリサイタルが近づいてきました。しかし、クリスマスのあと、タバコがおそらく原因で始まった風邪が、しつこい鼻炎という形で残り、体の抵抗力も落ちているところへ関節リウマチの治療の薬がやってきて、さらに抵抗力が落ちた・・・・ためか、まだ本調子ではありません。やっと、この月曜から、レッスンを再開しました。
さすがに耳鼻科へ行き、ステロイド吸入を3週間(!!)という長い治療、つまりコンサートが終わっても、治療は続くのです。まだ、いつ出てくるかわからない、から咳があります。それが、いつか、なぜか、という理由がわからず出てくるので、これはもう、心配したって仕方ない~
気をつけるべきことは、声が出せるようになり、歌えるようになったな、と思ったところで多く歌うと、その日は歌えても、その後にもっとひどいことが待っている、ということ。・・・”乗り越えて”うたい、正しい歌い方をしていたとしても、粘膜も筋肉も疲労しますから、一気に疲れが出てダウン・・・そのあと、しばらく声が出せなくなる、ということもあります。残念ながら、風邪をおして歌ったための、リアルな自分の経験です。
Je suis maladeもプログラムに入っていますが、これでは・・・しゃれになりません・・・
(^_^;)
でも、歌います。
プログラムを見せてもらったら「リサイタル」と書いてある、そうそう、リサイタルなんだっけ。クラシックと、ジャズと、二人伴奏者を迎えますので、ひとりで、という気分がありません。それに、歌は、一人より、ピアニストとふたりで作る世界です。
パリでの最初のリサイタルは2005年のことでした。40歳祝い?のつもりでした。一月前の11月2日、高校での教え子が急死したという知らせが入りました。名前のように、清く美しく、太陽のような、素直な人でした。信じられない思いでいっぱいで、もう一回、メールくらい送ってくれないかな、などとぼんやり思いました。多くの生徒に出会ってきましたが、訃報が入ったのはこのときが初めてで、いったいどうしたらよいのかわからず、涙はとまらず・・・
連絡をいただいたときには、お葬式も済んでいました。たとえ、直前に知らされていても、日本でのお葬式にすぐに飛んでいけるはずがありません。メールを使って、家族からの連絡があっただけでも、よかったのです。
泣きながらの練習。そして、迷っていたけれど、このことによってプログラムに入れる曲を決定しました。彼女へささげる歌、死という言葉がなくとも、どうしても死を思わせる詩。死と相対するからこそ思う「生」。
彼女が日本にいたら、確実にコンサートには来てもらえない、けれども、彼女は今、自由になってどこにでもいるから、コンサート、聞きに来てくれるんだ、と思いました。
本番は泣かずに歌いました。彼女が、また、私を一歩、前進させてくれました。
実は自分の42歳の誕生日祝いとなる今回のリサイタル、プログラムの中心はショパンです。ショパンというと、別れの曲?雨だれ?ピアノ曲?それが、ショパンは歌も書いていたんです。ポーランド語です。
歌曲を中心にとりあげますので、それは、当日のお楽しみ。でも、前回に同じく、クラシックのみではないシャンソンとジャズのあれこれプログラム。そして、強く心に響いたシャンソンを選びました。
"INVITATION TO NEVERLAND"
というタイトルは、ジョニー・デップの映画から。ピーターパンのモデルになった男の子のお母さんは、おそらく結核で亡くなって、Neverlandの住人になったことでしょう。身内の死になくことがあっても、昔に(結核で)亡くなったショパンに泣くことはありません。彼も、同じNeverlandにいるのでしょう。そして、そこにきよみちゃんもいます。
では、ラストスパート・・・・・・・
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