先日のリサイタルは、実は少し特殊な舞台でした。クラシックである「ショパンの歌曲」は”アコースティック”。弾き語り、シャンソン、ジャズではマイクを使う、という、音響の有無を重ねたものだったのです。クラシックを歌うときは、(野外劇場でもない限り!)マイクを使うつもりはありません。また、広い会場でシャンソンやジャズを歌うのに、クラシックの声を持ち出したくはないのです。
クラシックと、それ以外、とはっきり境目を付けたい人には、邪道に写るかも知れませんね。私は要するに”電気はイツ切れるかわからない”ということで、マイクに頼らず歌えるようになることも大切だと思っているのですが、マイクの魅力も学びました。マイクは、息の音さえ拾うような小さな声だからこそできる表現を拾ってくれるのです。そして、それが表現の選択肢を広げてくれます。
私は一度、ジャズの歌の講習会を受けたことがあります。先生は、ミッシェル・ルグランの姉、クリスティアンヌ・ルグランでした。譜読みなどには慣れているので新曲をこなすのは無難にすむし、たまたま同じ声楽の先生についていたということがわかり、私のフランス語の問題はともかく、いたってレッスンは無難にすみました。が、一番うるさく言われたのは
「アキコ、声が大きすぎる、マイクから離れて!マイクを離しなさい!」
でした。マイクのことを、本当に私は知らなかったのです。
先日の会場のマイクは、これまた、たいへん性能のいいもので、10センチ離れていようがカンタンに音をひろってくれるタイプでした。安いマイクでは、クチをくっつけていないと音が入らないのですが、ここのマイクはワイヤレスの上、こんなにラクに音が入る・・・・また、音響スタッフに教えてもらいながらのリハーサルでした。
第一部ではショパン一作品を含む5曲を弾き語り。なぜかこの半年、心にひっかかり、琴線に触れ、なんとしても歌いたい気持が強かった曲でした。そのなかのひとつ、皮切りは、以前にも書いた「私は病気」・・・恋の病、です。(恋の病、と書いてしまったのですが、この題名の曲もありますので、ややこしくなりそう。)
実際に風邪の病み上がり、練習しながら咳が出たりして、これを本番でやったらしゃれにならん、と思っていましたが、無事咳は隠れていてくれました。
この歌の疑問は、「男の歌か、オンナの歌か?」というところ。日本でも、男心の演歌を女性が歌うことはありますから、別にとやかく騒ぐつもりはありませんが、その詩の内容を受け取るには、少し考えておいてもそんはないと思うのです。
重複しますが、恋の相手にふっと出て行かれて「母親が夜、子供の自分をひとり置きざりにし、どこかに行ってしまったみたいに気分が悪い」と思うのは、これは、男性的なのかもしれません。
でも
「好きなときにふらっとやってきて、また出かけていくけれど、何処へ行くのかもわからない」
「何を飲んでも、酒の味ももう、どれも変わりない。」
「船の旗には、あんたの印がはためいている。あんたは何処にでもいる、私は何処へ行ったらいいのかわからない」
・・・このあたり、私にとっては、どうしても「女心!」なのです。(ですからつい、「あんた、と書いてしまいます。)
「あんたのせいで、歌も、コトバも取り上げられた、私には才能があったのに」
・・・・これは、もしかして昔大好きだった、中島みゆきさんなどの詩を連想しているのかも知れません。
歌詞をよく見ると、形容詞は男性形になっていますので、ざっと文法で見ると「男の」歌、なのです。でも、私はしみじみ・・・女性に似合う、と思いました。
さて、シャンソンは後2曲、連れ合いのディミトリに伴奏を頼みました。
「懐かしき恋人たちの歌」
ジャック・ブレルの名作のようですが、私は、若い、デビューしたばかりのクリストフ・ウイレムという歌手がオーディション番組で歌っている時点での録音に心を動かされ、選びました。.そのときにも、すべての歌詞をはっきり聞いていたのではありませんが、サビがあまりにも印象的でした。
「恋人よ、光り輝く夜明けから、日が暮れるまでずっと愛している」
静かに繰り返し歌われるこのサビ。愛を毎日語っているのが見え隠れするパリで、そんな人たちが身近にいました。女性が亡くなったときにも、静かに泣きながら、その手を握ったまま、je t'aimeといい続けたその人の姿が思い出されて仕方ないのです。日本では想像もつかないかもしれないけど・・・
詩の内容は、またあらためて訳してみたいと思います。これは、文法から見ると明確に本来、男性の歌です。日が暮れるまで・・・とは、一生・・・と同じ意味。いろんなことがあった、お前はオトコも作ったけれど(あくまでもオリジナルは男性形です)・・・と・・・
互いに、いろんな道をたどりながら、やはり、「あなたを」愛している・・・といいたいのです。
男性の歌だけれど、やはり歌いたくて、歌いました。練習していても、涙がこぼれる歌、それは、別に自分の歌に聞きほれるわけではなくて(!)詩の内容に、あまりにも心を打たれるから。
ダリダが歌った曲「一人で生きないために」(邦題探しています)も、クリストフ君が歌ったものでした。女性が歌った曲を男が歌い、私がまたその曲を歌いたい、と思いました。(私にとっては、それほどクリストフは魅力ある歌手なのです!)短い歌詞は、わかりやすいものです。一人で生きないために、人は好きなものをみつけたり、集まったりする・・・けれど、私はあなたといるけれど、やはりひとり。一人で生きてはいないという幻想をもつために、私はあなたを愛し待っている。
ダリダの人生は想像するしかないけれど、もし、孤独をかみ締めていたのだとすると、こんな身にしみてくる歌詞もありません。とはいえ、人間確かに「二人分の棺おけはない」とここで歌われるように、一人で生まれ、一人で死んでいくもの。ここでもつ「一人」の意味をも、考え直しました。
ショパンの歌曲も、暗いものから明るいものまでいろいろあります。
プログラムには、ここで明るいロック風のジャズをいれ、馬に乗って、希望に向け勇敢に旅立っていくショパンの作品へ、とバトンタッチしたのでした。
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